【彩・歴・訪】第1回 所沢は保健所発祥の地
西武鉄道所沢駅東口を降り、北東へ暫く歩くと、長者久保公園がある。長者久保公園には「農村保健館跡」の石碑が建っているが、実は所沢が「保健所発祥の地」なのである。
我が国における保健所は、1937年(昭和12年)に東京都中央区京橋に設置された「都市保健館」、そして所沢に設置された「農村保健館」が始まりだった。
碑文によれば、昭和5年、アメリカのロックフェラー財団から我が国に公衆衛生技術者教育機関を寄付する意向が示され、昭和6年中央に公衆衛生院を置き、都市及び農村地区にそれぞれの臨地訓練機関を設置することになった。(中略)昭和6年内務省から埼玉県へ選定以来があった「模範衛生実習地区設置」については所沢町外六箇村が推薦され、農村保健館の受け入れ態勢が整えられた。昭和12年1月4日埼玉県は所沢町に県立特別衛生地区保健館の設置を告示し、町村組合共同病院内に仮事務所を置き、農村保健館の業務を開始した。とある。
その後、昭和13年、現在の所沢市くすのき台(武蔵野銀行所沢駅前支店がある付近)に農村保健館が正式に開設され、昭和16年「所沢保健所」と改称され、昭和39年にけやき台へ移転するまで、この地で地域住民の健康や衛生を支えてきた。
現在、所沢保健所は廃止され、その機能は狭山保健所に引き継がれたが、所沢が我が国における「保健所発祥の地」なのである。(五楼)